2015年03月05日

鎌仲ひとみ監督最新作「小さき声のカノン 選択する人々」

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鎌仲ひとみ監督最新作「小さき声のカノン 選択する人々」
こちらよりダウンロードできます。※渋谷シアター・イメージフォーラム版になります。
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映画『小さき声のカノン』監督・鎌仲ひとみ インタビュー
http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150303/index.html?sid=top_main



こちらはいつも送ってもらっている  田中良明さんの「原発雑考」320号(最新号 2015.3.5号)です 
転載させていただきました。必見です
仕組まれた人選、仕組まれた課題設定

 2030年の電力供給に占める各電源の比率(電源構成)を議論する経産省の作業部会が始まった。焦点は原発と再エネ発電の比率がどうなるかだが、原発推進の経産省が事務局を担当し、経産省が選んだ「有識者」が議論するのだから、まっとうな結論が出ることはおよそ期待できない。

 その「有識者」の一人である山名京大原子炉実験所教授(元動燃職員。3.11以前からの原発推進学者の中心の一人)は、「(原発比率は)原子力を少なくしたいという国民感情と、エネルギー安全保障や環境上重要だという理性的な考え方の溝を埋めるものにするべきだ」という意見だと報じられている(朝日新聞1月31日)。「原発反対は感情論で、原発推進こそ理性的」というわけだ。3.11以前によく耳にした意見である。こんな化石のような意見を堂々と開陳する人が選ばれているのだ。そんな人だから選ばれたというべきか。

 実際には原発は、安全、環境、コスト、安定供給(原発はよく停まり、停まると動かすのに時間がかかる)、エネルギー安全保障(原発はテロの対象になる)、さらに地域活性化などの面で、最低最悪の電源だ。原発反対こそ理性的であり、原発推進は理性的ではなくて利権的なのである。

 ところで2030年はわずか15年先であり、将来のあるべき電源構成に至る通過点にすぎない。まじめに将来の電源構成を議論するつもりなら、まずあるべき(=最終的な)電源構成とそれへの到達予定年を決め、そのうえで通過点としての2015年の電源構成を議論すべきだ。

 原発は、建設費の上昇や事故、放射性廃棄物処理など将来に付け回されているコストの存在が時間の経過とともに明白化してくる。他方再エネ発電は、発電コストの大幅な低下、技術的対策の進化による出力変動の克服などが見込まれる。つまり長期的な見通しを議論すれば原発の劣位性と再エネ発電の優位性が決定的に明白になるのは必至である。それを避けるために2030年に限った電源構成を議論するように仕組んだのだろう。

脱原発の政治的構図

 今年は原発問題の節目の年になりそうだ。再稼働、40年超運転延長、電源構成(再エネ発電接続抑制問題に関連する当面の電源構成と、将来の電源構成の両方があり、ともに原発と再エネ発電がどれだけのシェアになるかが焦点)等々、福島原発事故関連を除いても課題山積である。

 これらの問題についてはこれまで論じてきたし、これからも論じていくつもりだが、ここでは一歩退いて脱原発をめぐる政治的構図について考える。
 そこでまず確認すべきは、即時脱原発の基本的な正しさということである。

 破滅的事故の発生を回避し、処理方法が存在しない使用済み核燃料を新規に生成させないためには、原発を運転しないことが唯一の方策である。

 3.11からほぼ4年経つが、原発なしでも停電は起きず、産業活動にも大きな支障は生じていない。この先は、人口減、低成長、産業構造の省エネ化、エネルギー多消費産業の国外移転 、省エネの進展、再エネ発電とLNG複合発電の普及、電力需要制御システムの普及などによって、原発なしでCO₂発生を低減させつつ電力需要を賄っていくことは十分に可能である。

 また、現状では電気料金に反映されていない外部コストを加算して評価すれば、コスト面でも原発維持より脱原発のほうが明らかに優れている。
 これらのことから即時脱原発は可能であり合理的でもある。もし私が原発の存廃を決定できる立場にあるなら、ためらいなく即時脱原発を選択する。

 他方では、政権は原発推進一辺倒で、各種世論調査で即時脱原発支持は15%程度、段階的脱原発支持が50%程度という現実がある。段階的脱原発を支持する人たち(以下では段階的脱原発派と表記)と協力しなければ、脱原発は見果てぬ夢になりかねない。それを避けるためには、原発稼働の永久停止まで最大で15年程度かけること、そういう線で段階的脱原発派の協力を得て脱原発を達成することになってもやむをえないと考えている。

 その間原発は稼働するから、過酷事故が発生する可能性は排除できないし、使用済み核燃料は上積みされることになる。それでも即時脱原発に固執していつまでもそれが実現できない破目に陥るよりは、まだましだ。「永遠に断固として即時脱原発の旗を掲げ続ける」というのは悪い冗談でしかない。もちろん即時脱原発を決定できる政治的社会的状況が近い将来に生まれることが高い確率で期待できる場合には、即時脱原発の旗を掲げてそれを待つのが正しい選択だろうけれども、残念ながら現状はそうではない。

 2002年にドイツで社会民主党と緑の党の連立政権が2021〜22年頃までに原発ゼロを達成するという段階的脱原発を決定した。その当時日本の脱原発運動の内部で即時脱原発の主張を引っ込めた緑の党への批判がかなりあった。しかし緑の党は政権与党内では圧倒的少数派であり、社会民主党の段階的脱原発論を押し切って即時脱原発を政権方針にすることはとうてい不可能だった。緑の党が即時脱原発に固執すれば、連立政権は崩壊し、段階的脱原発の決定もなかっただろう。

 私は緑の党の選択を一般論としては次善の選択、置かれていた状況の中では最善の選択だと考えた。この段階的脱原発方針はその後曲折を経ることになるが、福島原発事故直後の2011年に保守政権のもとで2022年までの脱原発が決定された(社会民主党、緑の党ともに賛成)。2002年の決定がそのベースにあったことはいうまでもない。世界に大きな影響を与えた2011年の決定も即時脱原発ではなく段階的脱原発であることも指摘しておきたい。

 なお段階的脱原発を唱える人たちの中には、本音は原発推進だが、即時脱原発を避けることを当面の目的とし、そのために便宜的に段階的脱原発を掲げている連中(エセ段階的脱原発派)もいる。したがってまじめな段階的脱原発派とエセ派を区別する必要がある。エセ派を見分けるのはあまり難しくない。彼らは「当面は原発が必要」と主張するが、いつまでに原発ゼロにすべきかを明らかにすることは避けるからである。

 ところで原発再稼働について各種の世論調査では6〜7割が反対している。この数字は即時脱原発派と段階的脱原発派を合わせたものと同程度であり、大雑把にいえば即時脱原発派だけでなく段階的脱原発派も再稼働反対に回っているということである。そうなっているのは、政府、規制委員会、電力会社の再稼働の進め方があまりにも乱暴で無責任だからである。

 福島原発事故を経験したいま、原発を再稼働しようとすれば、事故発生の可能性を認めたうえで(それには、地元同意、避難計画、避難生活支援、事故責任、決死隊準備などの問題について説得力のある方針を示すことが付随する)、再稼働の必要性を誠実に説明する必要がある。しかし現実に進められているのはこれとは正反対のことである。これで再稼働を認めることは3.11以前への逆戻りを意味し、段階的脱原発すらありえなくなってしまう。それゆえ段階的脱原発派も再稼働反対にならざるをえないのである。

 脱原発をめぐる政治的構図は重層的で複雑である。そのことをしっかり認識し、可及的速やかな脱原発達成をめざして複眼的な思考で運動を進めていくことが必要だ。自分の主張の純粋性維持を最優先するような硬直的な姿勢では、いつまでたっても脱原発は達成しえないだろう。   (転載ここまで)




 



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