我が家にとっていまや季節行事になった「春の中学生民泊交流」と「秋のツールド」のお客様
新型インフル禍で実施が危ぶまれていた京都からの修学旅行生受け入れも、先日無事に終わりました。
全国で2000もの学校がこの春の修学旅行を中止か延期したそうです。
毎年5月に行われていた「神戸まつり」も予定通り実施できず、観光都市こうべは現在も苦戦しているそうです。
苦戦と言えばこの時期関西から多くの修学旅行を受け入れている沖縄も別の意味で大打撃を受けました。とにかく来る予定の学校自体がクローズされてしまったのですから。学校生活が正常化するのにあまりにも時間がかかってしまいました。
国の対応や自治体の対応にさまざまな声が飛び交いましたが、
たしかに風評被害的側面もありましたが、
やはりこれは天災(避けられないこと)と言えるでしょう。
完璧な危機管理はもちろん大切ですが、その時点で正答を求めるのは容易なことではありません。
多少のことがあっても簡単にはぐらつかない、そんなしっかりとした産業構造をつくっておくことこそ大切だと思います。
県北部のやんばるの市町村も近年、観光にシフトした地域活性化に力を入れ出しました。
行政、民間、個人さまざまな立場で参画し、ネットワーク化し、すでに実績を上げだしているところも少なくありません。
それが地域の雇用の創出につながり、税収増につながり、新たな財源となれば地域の人々のくらし向上にも結びつく。いいことづくめ。だれも反対する人はいないでしょう。
でも私はこの“活性化”という「錦の御旗」にどうしても警戒感をもってしまいます。
よほどいま困っていることがある。このままでは行き詰ってしまうというのなら分かるのですが、まわりが騒がしくなり「バスに乗り遅れるな」的動機で始めるなら必ず落とし穴があるような気がするのです。
ここで言っている“活性化”は、あの Yes,We can の“CHANGE”によく似ています。
“チェンジ” 変えなければいけない
“チェンジ” 変わることはいいこと
でもどうでしょう
大切なのは “どう変わるか?” であって、けっして変わること自体ではないはずです。
“よく変わる” のだったらいいのですが、その逆のことだってあり得るわけです。
“活性化”に話を戻しましょう
何かを始めていっときいいことがあるかもしれません(大金がころがりこむとか)。
でもそれがいつまで続くのか
そのあとには何が待っているのか
前の方がよかったと気づいた時、元に戻れるのか
こんなことばかり言っていると「オマエの考え方は後ろ向きだ」と非難されそうですが、
そうやっていい夢を追いかけているうちに足元をすくわれてしまった事例をいくつも聞かされているからです。
カツオやサメといった魚は泳ぐことを止めると死んでしまうそうです。常に体を動かし続けていなければならず、泳ぎながら寝るワザをきっともっているのでしょう。
人間はそういうわけにはいきません。休みたい時にしっかり休む。それができて、はじめてまた働き続けることができる。
一晩中動き続ける冷蔵庫やサメを真似したいと思っても、それはできません。
動き出してしまった歯車を止めないために、無理することが日常化する。
借入金(ローン)の返済が全てに優先されるようになる。
生きる手段だと思っていたことが、気づけば目的になっている。
こころがくたびれ、自分らしさがいつのまにか・・・
そんなことにならないように
しっかり先を見通して
地に足つけて
身の丈にあった自分のペースをまもり
やさしさも あたたかさも おおらかさも 肝清らさ(ちむじゅらさ)も、 みんな失ってはいけません
よそがみんな変わったら
変わらないことが新ブランドになるかも
“ここ今帰仁だけはいつ来ても変わらないねえ” もいいんじゃない
そんな今帰仁を求めて、いっぱい人がやってくると思うな
そんな今帰仁の人に会いに